こんにちは☀️
明成個別新河岸校舎のタイガです。
突然ですが、先日お休みをいただいて群馬県の富岡製糸場に行ってきました!
「え、タイガ先生が世界遺産?」って思った人もいるかもしれませんね(笑)
でもね、実際に行ってみたらめちゃくちゃ面白かったんです。
今日は中学生のみんなにもわかりやすく、富岡製糸場の歴史をまとめてみます!
まずは中学生向け!3分でわかる富岡製糸場
なぜ富岡製糸場は作られたの?
時は明治時代のはじめ。
江戸時代が終わって、日本は外国と貿易を始めました。
そのとき一番の輸出品が「生糸(きいと)」だったんです。
でも問題が起きます。
「売れる!売れる!」と急いで作った結果、品質の悪い生糸が大量に出回ってしまったんですね。
外国から「もっとちゃんとした生糸を作ってくれ!」とクレームが来る始末。
そこで明治政府は考えました。
「国が本気で、最高の製糸工場を作ろう!」
これが富岡製糸場誕生のきっかけです。
当時の富岡製糸場の役割とは?
富岡製糸場には3つの大きな目的がありました。
① 最新技術を取り入れる
フランスから機械と技術者を呼んで、当時世界最先端の製糸技術を導入しました。
② 全国から工女さんを集めて育てる
各地から若い女性たちが集まり、ここで技術を学びました。
③ 学んだ人が地元に帰って教える
技術を習得した工女さんたちは、故郷に戻って指導者になったんです。
つまり富岡製糸場は、「技術を広めるための学校」でもあったんですね。
日本の発展にどう貢献したの?
富岡製糸場で作られた高品質な生糸は、海外で高く評価されました。
これによって日本は外貨(外国のお金)を稼ぐことができたんです。
そのお金で鉄道を敷いたり、工場を建てたり…
日本が近代国家として成長するための「原動力」になったと言っても過言ではありません。
1872年に操業を開始して、なんと1987年まで115年間も動き続けたんですよ。
すごくないですか?
実際に行って感じたこと
正直、写真で見るのと実物は全然違いました。
建物のスケールがとにかくデカい。
繰糸所(そうしじょ)という建物は長さ約140メートル。
中には300台もの機械が並んでいたそうです。
当時としては世界最大規模の製糸工場だったというのも納得。
そして何より感動したのは、明治時代の人たちの「本気度」です。
外国に追いつくために、国を挙げて最高のものを作ろうとした。
その熱量が、建物から伝わってくるんですよね。
中学生のみんなへ
歴史って、教科書で読むと「昔のこと」って感じがしますよね。
でも実際に現地に行くと、「本当にあったことなんだ」って実感できます。
富岡製糸場は、日本が本気で変わろうとした証拠。
「このままじゃダメだ」「変わらなきゃ」
そう思って行動した人たちがいたから、今の日本がある。
これって、勉強も同じだと思いませんか?
「このままじゃマズい」と思ったとき、本気で動けるかどうか。
そこで差がつくんです。
もっと詳しく知りたい人へ!富岡製糸場の深掘り歴史
ここからは、さらに詳しく知りたい人向けの内容です!
建設地に富岡が選ばれた理由
実は最初から富岡に決まっていたわけではありません。
フランス人指導者のポール・ブリュナが、各地を視察して選んだんです。
選ばれた理由は主に以下の通り:
- 養蚕が盛んで、原料の繭が手に入りやすい
- 横浜から遠すぎない
- きれいな水が確保できる(七日市用水)
- 広い土地があった(旧陣屋跡)
ブリュナは、この地の山並みを見て故郷フランスの風景を思い出したとも言われています。
富岡製糸場の設立に関わった人物たち
渋沢栄一(1840-1931)
そう、新一万円札の人です!
30歳のとき、事務主任として富岡製糸場の設立に携わりました。
「近代日本資本主義の父」と呼ばれる実業家です。
ポール・ブリュナ(1840-1908)
フランス人の指導者。
横浜で生糸検査人として働いていた経験を買われ、明治政府に抜擢されました。
建設地の選定から機械の設計まで、中心的な役割を果たしました。
尾高惇忠(1830-1901)
渋沢栄一の従兄で、論語を教えた師匠でもあります。
初代場長として4年間務め、経営を軌道に乗せました。
横田英(和田英)(1857-1929)
15歳で入場した工女さん。
技術を習得後、地元で指導者として活躍しました。
回想録『富岡日記』は、当時の様子を知る貴重な資料です。
富岡製糸場のその後
1893年に民間(三井家)に払い下げられた後も、製糸工場として稼働し続けました。
1939年には片倉製糸紡績株式会社(現・片倉工業)に合併。
1987年に操業停止するまで、115年間製糸を続けたんです。
操業停止後も建物は大切に保管され、2014年にはついに世界遺産に登録。
同年、主要な3棟が国宝にも指定されました。
フランスとの深いつながり
富岡製糸場は、フランスと深い縁で結ばれています。
建設当初は10名ほどのフランス人技術者が指導にあたりました。
現在、富岡市はブリュナの生誕地であるブール・ド・ペアージュ市と友好都市協定を結んでいます。
歴史が、今もつながっているんですね。
まとめ
富岡製糸場は、日本が「変わろう」と本気で動いた象徴です。
外国に追いつくため、最高の技術を取り入れ、人を育て、国を豊かにした。
その「本気」が、115年も続いた。
みんなも、何かを変えたいと思ったとき、本気で動いてみてほしい。
その一歩が、きっと未来を変えるから。
興味がある人は、ぜひ一度足を運んでみてくださいね!
最後までお読みいただきありがとうございます!
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