【ふじみ野】急に成人になるわけではない。練習の積み重ね。

成人式がありましたね。

もちろん万全の状態での実施ではなかったかもしれませんが、実施ができて晴れの舞台をしっかりと迎えることができた人も多いのではないかと思います。

さて、新成人たちを見ていると思うことがあります。

それは、

成人とはなんだろうか?

ということです。

当然、成人式は通過儀礼ですから、その日をもって形式的に成人を迎えることになるわけなんですが、それはあくまでも形式に過ぎません。

中身はどうなの?

成人って一体何でしょうか?

私が思う大人とは、

自分で決めて、自分で責任を取れる人です

これ以外と難しくて、
多くの人は、自分で決められずに誰かに決定を委ねてしまったり、
その結果をだれか自分以外のせいにして自分を守ってしまうことも多いですから。

なぜそういう人が多いか、これは教育にも原因があります。

だって、日本では、
自分で決めることよりも決めたことに従うことが学校でも重視されていますから。

そうやっていろいろなことを決められて、
それに従うように教育されてきた人がいきなり何かを決められるようになる?
それは難しいでしょうね。

だからこそ、教育が必要なんです。

些細なことでも、
自分で考えて、自分で行動して、
その行動を自分の責任として受け止め、
反省・改善していくことを繰り返していく、
大人になるための練習はこれ以外ないのです。

だからね、先生たちは意識しないといけないんです。

何でも決めて、何でもやらせるのではなく、
自分たちで考え、自分たちで責任を取らせることを。

自分の結果を人のせいにして逃げようとする子どもには指導をして、
自分と向き合う機会を与えるべきです。

テストの結果一つとっても、
先生がわかりにくい、
部活が忙しい、
自分はやっても無駄だ、

そうやって自分の努力や行動を無視してしまうことは許してはいけないのです。

教育とは、安全な失敗をさせることです。

自分で考えて、自分で失敗も成功も感じて、成長していく。

どんどん失敗していい。
その代わり、ちゃんと受け止めて反省して改善できるような指導をしてあげることが本当の意味での教育ではないでしょうか。

教育学習塾として、そんなことを思いながら、成人たちをみている今日このごろです。

この記事を書いた人

石橋 凌