悪いレッテル貼りしちゃってませんか?悩めるママの子育て日記~場面ごとの解決法~4

悩めるママの子育て日記~場面ごとの解決法~4

「お義母さん。昨日学校で学年集会があったんですけど,そこで学年主任の先生がね,

 

『お前達は史上最悪の学年だ。チャイムを守れないし,服装の乱れもある。このままでは修学旅行は中止だ』と言っていたようなの。

 

保護者会でも担任の先生が同じようなこと言っていたし,このままでは 恵衣(えい)と岳(がく)とが心配だわ。」

 

 

 

私は恵衣と岳が学校で問題を起こさないかが心配になっていた。

 

 

「そんなことを言われたの?残念ね。

でも昔から学校ではよくあることなのよね。

 

誤解を恐れず言うとね,私から言わせれば『自分たちの指導力のなさを正当化するための言い訳』に聞こえてしまうわ。

 

確かに学年によっては,落ち着かない子が集まるときだってあるかもしれない。

 

でもね,それをどうにかしようっていうのが先生なんじゃないかしら。

 

それが教育なんじゃないかしら。それを放棄してしまっているようにみえるわ。」

 

 

 

お義母さんの言うことはいつも正しく,説得力があるなと,私は思った。

 

 

「確かにそうですね。学級通信にもいろんな問題がつらつら書いてありましたけど,結局『ご家庭でもよく注意してください』ですものね。」

 

「そうね。でも,子ども達の前で学校の先生の批判をしちゃダメよ。子どもにとって良くないことになるわ。

私たちも愚痴ばかり言っていても仕方ないわね。一つ大切なことがあるのよ。」

 

 

「大切なこと、ですか?」

 

 

「そうね。今回の件は,教育や子育てにおいて大切なこと。『レッテル貼り』なのね。

 

子どもはレッテルを貼られると,そのレッテル通りになろうと無意識に行動してしまうものなのよ。

 

例えば,非行や,授業態度も,ほとんどが先生や親の責任だと思うわ。」

 

 

私は疑問を素直に聞いた。

 

「レッテルって何ですか?」

 

 

「そうね。『あなたはこういう人間』と決めつけてかかることかしらね。

 

例えば,下級生達と遊んでいるときはしっかりとしたお兄さん的な子が,違う集団に混ざると180°違う振る舞いをすることがよくあるの。

 

学校では不良で問題ばかり起こしている子が,塾ではすごく授業態度もよく,みんなに優しい,そんな子が本当に多いって聞いたことがあるわ。

 

『こういう人間』だと決めつけてかかるから,子どもはそうなるように振る舞ってしまうものなの。
何事にも自信がなくて,積極性のない子は,幼い頃から『あなたは何をやってもダメ,長続きしない,いつもクチだけ』と言われ続けていることが多いのよ。」

 

 

「へ~,そんなに大事なんですか? 岳はそうだったのかしら。

小学校低学年のとき,外ではすごくしっかりしているのに,家では甘えん坊で,何も自分ではできない状態で,不思議に思っていたことがありました。

それもレッテルなんですか?」

 

「そうね。その場合のレッテルは『この子は甘えん坊で自分では何もできない』と決めて,いつもあなたが手助けしてあげていたからじゃないの?」

 

「でも私がしてあげないとダメだったんです,朝だって私が起こさなければ遅刻ですよ?宿題だって私が声をかけないとやらないんですもの。」

 

「(笑)ほら,それがレッテルよ。

逆になんでそうなったのか考えたことある?

しっかりできる子もいれば,できない子もいる。結果には必ず原因があるのよ。

そもそも,岳は『学校ではしっかりして,リーダーシップがある』とまで言われていたじゃない」

 

 

 

「そうでしたね。じゃぁマイナスのレッテルを貼らないようにすればいいんですね?」

 

 

私は解ったつもりになっていた。

 

 

「こんな話があるわ。ある先生が,『この生徒と,この生徒と,あと,あっちの生徒。全員成績上がるぞ。』と生徒たちの前で言いました。

そうすると,言ったとおりにその名指しした全員の成績があがりました。すごいと思った人が,『どうして,成績が上がる生徒を見極められるんですか』と聞いたの。
その先生は言った。『私にそんな力ありませんよ。見極められませんよ。そんな力あるはずないじゃないですか。ただ,その生徒に聞こえるように「成績があがる」と言って,生徒をその気にさせただけですよ。』

こんな風にね,むしろ逆の良いレッテルをどんどん貼り付ければいいのに。先生も,親も,大人はみんな子どもの扱いが下手すぎるわね。」

 

 

「はい。お義母さんみたいに,いろいろ詳しい方が近くにいないんですから,仕方ないですよ」

 

 

「そうね。そこも社会の問題だわ。私がずっと思っていたことでね,子どもにとっての最悪のレッテルが「学習障害」とか,「軽いうつ」とか,あいまいな定義のものだから,確かに診断は難しいと思うけど,仮にそうでなかった場合,診断が下った瞬間にそうなるの。このことは,私すごく強く言いたいのよ。」

 

 

「お義母さんが感情的になるなんて珍しいですね」

 

 

お義母さんが珍しく感情的になっていた。

 

 

こんなお義母さんは初めて・・・自分のことのようにムキになっているようにも見えた。

 

 

「大人が自分の能力不足を認めたくないから,安心が欲しいからって,子どもにレッテルを貼って子どもを決めつけて可能性を潰すことが多いの。そんな程度の親や先生なんていないほうが100倍マシよ!」

 

 

 

「ちょっと,お義母さん・・・言い過ぎ(笑)」

 

 

 

「ふ~,ごめんなさいね。言い過ぎたわ。でも,子どもが犠牲になるのは見ていられないのよ。病院に連れて行けばそれは,何らかの診断が下されるのよ。『何も問題ありませんでした』なんて医者が言うと思う?言わないわ。

 

○○の恐れがあると再検査したりカウンセラー紹介したり,薬を投与したり再検査だったり。

 

至って普通の子に何をしてるのよ!って思うことが多いの。

 

もちろん,中には本当にお医者様のお力を借りなくてはいけない子もいるわ。

 

でも,多くの子が病名を付けられることで,そのようになっていくの。もう見ていられないわ。」

 

 

 

「私も気をつけます・・・」

 

 

 

「でも,家庭で気をつけていてもね,学校でもよくあることだから,親はもっと気をつけなきゃ。『お子様が学習障害の恐れがあります。一度専門家に相談を。』っていう言葉が,残念だけど学校ではよくあることなの。

 

もちろん,文字を書けないとか,言葉を話せない,極端に変わった行動をする。など,本当にサポートを必要とすることもあるから,一概には言えないけど,専門家によって「学習障害」とか,そんな診断が下ると,親が安心するのよ。「やっぱりそうだったんですか」と胸をなで下ろす。変なモノよね。

 

学校の先生もね「やはり学習障害でしたか。私の判断は正しかった」とか偉そうに言う教師がいるのも悲しいわね。

 

それは安心よね。自分たちの指導能力のなさを認めなくて済みますし,ご自慢の授業を批判されずに済みますからね。

 

まず,学習障害(LD)だとして,なぜ,塾では真面目に取り組めるし,何の問題もないような生徒が,学校に行くと「学習障害」と言われてしまうのかしら。立場の弱い子どもに問題があると決めつける姿勢が良くないわ。」

 

 

激しく感情をあらわにする義母に,私は恐る恐る聞いた。

 

 

「お義母さん・・・?何かあったんですか?」

 

 

「・・・・・実はね,私がそうだったのよ。小学校のとき心療内科連れて行かれて,私は病気なんだって思っていたの。でも,中学校の頃の担任の先生がね,『お前は別に普通だ。周りの子とも何の変わりもない。』って何度も言ってくれたの。それで救われたのよ・・・。私は運良くそういう先生に出会えたから良かった・・・」

 

 

「お義母さん・・・」

 

 

「ごめんね。でもね,レッテルの話は覚えておいて欲しいわ。親っていうのは我が子の悪い面が多く見えてしまうの。

だから意識しないと,どんどん悪いレッテルを貼ってしまうのよ。

しっかりと意識して子どもにはどんどん良いレッテルを貼ってあげなさい。」

 

 

「お義母さん,気付かせてくれてありがとうございます。」

 

つづく。

この記事を書いた人

HIRO 川上先生