私の受験体験記〜偏差値40が所沢高校を受験するまでの軌跡〜

#たいがのブログ

こんにちは。たいがです。

埼玉県の県立高校の受験日まで残り91日となりましたね。

残り13週間に迫ってきたということです。

受験生の皆さん、受験勉強は捗っていますか?

手を抜いて、楽をしているところはありませんか?

 

今日は、タイトルにもある通り、私自身の受験体験記を書いてみようかと思います。

中学1年生

小学校を卒業し、期待と興奮を胸に入学した中学校。

当たり前だが、周りには自分とは違う小学校から来た子もたくさんいた。

日に日に増えていく友達、キツくなっていく部活動。

その全てが楽しいもので、早速「勉強」という言葉は頭から消え去っていた。

小学校時代、荒れに荒れまくった自分の学年。

「中学校に入ったらみんなで勉強頑張ってみようぜ!」

そう言ったはいいものの、全く勉強をすることはなかった。

毎日キツいランメニューをこなし、帰宅後は友達と遊び、何もかもを自分の楽しいと思うことだけに割いていた。

当然、初めての中間テストは周りより点数が低く、450点を超えていた子も何人もいた。

私はここで「あ、俺って頭悪いんだ」と開き直ってしまった。

いつ思い返しても、ここでやる気になっていれば自分の人生は変わっていたのかもしれないなと思う。

そこからというもの、授業中は寝てるか外を眺めているかの2択。

ノートなど取らず、テスト週間は遊べる時間が長くなるだけのフィーバータイム。

案の定、テストの回数を重ねるたびに成績は落ちていき、学年末テストでは5教科合計で200点程しか取れていなかった。

この腐れ精神で2年生へと進級したわけである。

中学2年生

中学2年生。

周りがどんどん勉強しなくなる「中だるみ期」に突入。

周りがやらないことで私はどんどん「やらなくてもいいんだ」という感情に支配されていく。

教室内は常にキャッキャしている雰囲気。

先生もお手上げ状態だっただろうなと今なら思える笑

部活も自分たちの代となり、ますます部活に費やす時間が増えていく。

それに比例して遊ぶ時間も増えていった。

結果、定期テストの合計点は200点にも到達しなくなっていた。

それでも「周りも落ちてるし全然平気平気!3年生になってから頑張ればいいんだよ!」と傷を舐め合っていた。

そして2年生も終わりに近付いてきて、遂に塾に行き始める子が出てくるのであった。

その波に乗るかのように、春休みから塾に通うこととなった。

そして嫌々通わされながら遂に受験生、3年生となる。

中学3年生

春期講習も後半に差し掛かり、遂に3年生へとなった。

しかし何も自覚はない。まだまだ春休みは遊ぶぞ〜!といった感じであった。

周りがだんだん志望校について話をしているので私もなんとなく知っている高校を志望校として口にしていた。

「俺、所高いくわ!」

これが、ここから私の口癖になっていくことになる。

当たり前だが肩書きだけは受験生になったので北辰テストを受けることとなり、ようやくここで初めての壁にぶつかることとなる。

北辰テスト当日。どこを見てもわからない問題。

周りは解けているのでペンが走る音のみが私の耳に入ってくる。

正直絶望で帰りたかった。

とりあえず全教科しっかりと受けて東京のとある大学からトボトボと帰ることとなった。

気温の割にとても寒く感じたのを今でも忘れられない。

自己採点。丸はほとんどつかなかった。勘で解いた記号問題だけが唯一付いた丸だった記憶がある。

親には言えない。そう思い行きたくもない塾へと逃げようとしたが日曜日なので塾はお休み。

覚悟を決めて親へと報告した。

別に何にも言われなかった。ここで最大のミスを犯す。

「何も言われないならやらなくていっか!」

マジで過去に戻れるならこの時の自分を殴り飛ばしたい。笑

「いや、やれよ!」

これを読んでくださっているみなさんが思ったことでしょう。

今これを書いている自分でもそう思います。

そうして絶望したことを忘れてまた遊び呆ける日々。

現実に一瞬戻ったのは北辰テストの結果が家に届いたと友人から聞いた時であった。

流石に偏差値を見られたらヤバい

そう思った私は航空公園から猛ダッシュで帰った。

しかし時すでに遅し

育休をとっていた母親に見られた後だった。

顔面蒼白

しかしそれは母親も一緒だったようだ。

「あんたってこんなに勉強できなかったんだね」

これで私の心は一瞬だけ火が付いた

でも一瞬。3日後には消えていた。

「俺、所高いくわ!」

これはただのただのスローガンとなっていた。

当然志望校の判定はD

なんだったら順位も下から手と足を使えば数えられる程だった。

でも何とかなる!そう思っていた。自分が馬鹿で仕方ない。

これを書いていて恥ずかしくて嫌な気分にもなる。

話を戻そう。

しかし私はまたもや遊ぶ生活に戻っていった。

なんて馬鹿なんだろうか。

結局夏期講習まで、塾でしか、いや塾でもあまり勉強をしなかった。

そして勝負と言われる夏期講習。

必要最低限の勉強はしようと決意した。

嫌でも宿題はやって、小テストには受かろうと決意した。

でもバスケの誘惑が襲ってきた。

航空公園が自分を呼んでいる!なんて思い始めた。

誘惑に負けた。バスケをしに航空公園へ行ってしまった。

これで夏期講習は頑張ろうという決意は崩れ去った。

またもや遊びの日々に戻ってしまっていた。

結局塾から先生が迎えにきて渋々塾に行く生活となっていた。

夏期講習も結局変われなかった。

そして始まった二学期。

心機一転ここから頑張ろうという気持ちになり、授業で寝たり外を眺めたりするのを辞めた。

ただ授業の内容が難しくて、いや勉強してなかったせいで超難しく感じて萎えまくった。

でもここで遂に「悔しい」という感情が芽生えた自覚があった。

遂に心の底からやってやろうと思えた瞬間だった。

そこからは人が変わったかのように授業を真剣に聞いた(中学校の先生にも言われた)

塾の宿題以上の勉強をしてやろうと思った。

むしろ予習まで終わらせていい結果を出してやろうとまで思えた。

当時使用していた塾のテキストで予習を全て終わらせ、受験向けの内容の教材も周りよりだいぶ遅かったが着手した。

超分厚いテキスト(5教科全て)を1ヶ月で3周した。

答えどころか何ページにその分野の問題が載っているのかまで覚えられるくらい徹底して読み込んだ。

ただ現実はそう甘くない。偏差値は43。

10月の北辰で4月から3しか上がっていなかった。

発狂した。D判定だった。

でも私は変わった。燃えていた。

どこが抜けていて、点数が取れていないのか

どこをやれば点数が伸びるのか

徹底的に分析した。過去の北辰も全て分析した。

ある程度、自分が間違える問題には傾向があることがわかった。

それがわかってからの勉強は全てにおいて成長を感じられる最高の時間だった。

「勉強が楽しい」と言える境地までたどり着いた。

「コスパ最強の遊びやん!」と思った。自分が今までしてきた遊びなんて金がかかるだけで何も生まない無駄なものだと考えることができた。

弱点を埋めるたびに成長している実感。

実際に偏差値にもそれが表れ始めた。

数学だけだが偏差値が50に乗ったのだ。

当時の私からすると相当な快挙だった。

そこからは何も話さずひたすら机と向き合った

学校から直で塾に来て10時過ぎまで無言で勉強

話し声などシャットアウトされていた

ひたすら勉強を続けてようやく5教科の偏差値が50を超えた。

12月の北辰でようやく50を超えた。

志望校までは偏差値があと15は必要だった(内申が低すぎたため)。

それでもまだ希望はあると必死に勉強に向き合った。

誰に笑われても「合格発表で喜ぶのは俺だ!」と強く心に持っていた。

勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強

とにかく勉強をした。

最後の北辰を迎えた。結果は5教科55。

まだまだ10も足りない現状だった。

でも諦めたくなくて、ここで辞めたら自分は一生逃げ癖を引きずると思い絶対に志望校は変えなかった。

倍率を見て、死ぬほど震え上がった。

約1.5倍

俄然やる気になった。逆転合格、しかも3人に1人が落ちる倍率での逆転だ。

燃えないはずがない。

今までの3倍は手を動かした。手を止めたら落ちるとまで思ってひたすら手を動かした。

思考過程も全て書いていた。手を止めないために。頭の中を整理するために。

受験までの残り日数、命が尽きてもいいと必死に取り組んだ。

解けなければ悔しくて泣き、問題用紙がシナシナになっていた。

それくらい全てをかけて勉強した。

そして前日、今まで取り組んできたノートを見返して自分の成長を実感して安心してベッドに入った。

受験当日

朝は全く緊張していなかった。

何ならいつもより遅く起きてしまったくらいだ。

いつも通りの朝の動きをし、いつも通り家を出た。

家族からは超応援されて送り出された。

ここで正直涙が出そうになった。

ふざけたガキが、口だけ所高にいきたいと言っていたのに、当日は応援してくれるまで自分が頑張っていたんだと。

当然不安なんて何もなかった。

試験が始まった。

国語は安定にできなかった。

ここは想定内。何も焦ることはなかった。

問題はここだ。数学。

知っての通り、私は数学が得意だった。

学校選択でもドンと来い!

そう思って問題を開けたらまあ難しい。

何もかもが北辰と違い、解法が全く頭に浮かんでこなくなった。

焦った。何もできなくなってしまった。

そのまま持ち直すことはできず、数学は結果3割を下回る点数となってしまった。

もう無理だ。ここの高校に入るのは今日で最後だ。

理科と社会もその気持ちが消えなくて、全然振るわなかった。

もういいや、英語だけでも頑張ろう

そう思った結果英語だけ覚醒した。

8割を超えた。

これなら、もしかしたらあるかも。

所高の校門を跨ぐ時、なんだかまた戻って来れるような気がした。

そこからは不安をかき消すかのように遊びまくった。

とにかく合否のことを考えないように遊びまくった。

ただ合格発表は当然やってきた。

流石に不安だった。

親も私立に納める入学金をカバンに入れて合格発表を一緒に見にきてくれた。

飼っている犬(うめちゃん)まで連れて行った。

合格者の受験番号が書かれたボードが運び込まれた。

スローモーションに見えた。

呼吸するのを忘れていた。

自分の番号は…

無かった

 

 

 

 

 

かと思われた。

本当に見落としていたのだ。

結果は大逆転合格!

何とも言えない爽快感だった。

その勢いのまま中学校へ報告にいった。

担任も大喜び(今は花の木中にいるみたい)。

塾にも急いで行った。先生は泣いていた。

やってやったぞ!と一緒に泣いた。

 

受験生へ

君たちの中には、自分の限界に挑戦していない子がいる。

もちろん挑戦している子もいる。

俺の受験期よりも必死な子もいる。

ただ、本気に慣れていない子。

君たちは自分の可能性を自分で潰している。

将来の選択肢を自分で削っている。

本当にそれでいいのか?

後悔しない受験だったと言えるか?

自分に子どもができたとき、胸を張って受験期の話ができるか?

考えてみてほしい。

いつになっても変われなかった俺でも変われたんだ。

君たちにできないはずがない。

俺は本気でそう思っている。

俺は凡人以下だ。

俺にできたんだ。本気でやれ、後悔だけは残すな。

笑って高校に通えるように全力でやりなさい。

その先に必ず結果は待っている。

まだ間に合う。ここが最後のチャンスだ。

これを逃せば、結果は待ってくれない。

現状維持だ。

それが嫌なら泣くほど悔しがれるくらい勉強しなさい。

これが俺が言える唯一の言葉だ。

自分を信じろ。

限界に挑戦しろ。

そうすれば願いは叶う。

合格している自分を思い描いて、残り13週間

全力で駆け抜けよう

この記事を書いた人

taiga

明成個別新河岸・南古谷校舎で講師をしています!たいがです!
僕は勉強を通して人生が変わったと自負しています!
ひとりひとりが思い描く将来をさらに明るく、豊かにするために自分のできることを最大限伝えられるようにブログを更新していきます!